保存 共有 印刷 その他. 1: ばーど ★ 2019/11/28(木) 10:24:19.76 ID:AtAXkjev9 パナソニックは半導体事業から撤退する。台湾の新唐科技(ヌヴォトン・テクノロジー)に、事業会社の株式を売却する。パ ナソニックの半導体事業は赤字が続き、再建を目指してきたが、米中貿易摩擦による販売減 詳しくはこちら, 宿泊荷物を積んだ車で全国を回る日々を創業から8年間続ける。「取引先の途中に訪問したい会社が多数あるから車が便利」。コネクテックジャパン社長(新潟県妙高市)の平田勝則氏(53)は、よく響く声で話す。知識ゼロで半導体の世界に飛び込み約30年。低温実装やデスクトップサイズの製造システムで注目を集める。小説「下町ロケット」が起業の原点だ。, 東京・西新宿に育ち、父はプロボクサーだった。小学2年生で親戚がいる新潟へ。「将来は商社マン」の夢を抱いたが、家庭の事情で大学進学を断念。富山の医薬品商社で働き始めた。, それでも「世界に出たい」思いは募り、松下電子工業(現パナソニック)の新井工場(妙高市)が開設されると「半導体で世界を目指せる」と入社した。知識も経験もなかったが、エリア採用の現場作業員から実績を積み、大阪本社の管理職になった。米シリコンバレーを頻繁に訪問。数千億円規模の新事業にも携わり、40代半ばまで仕事が楽しかった。, だが2008年9月のリーマン・ショックで半導体の業況が悪化。人員削減に反対の平田氏も最終的に「リストラの片棒を担ぐ」ことになった。組織のためとわかっても次第に疲弊していった。, 週刊誌で下町ロケットの連載が始まったのはそんな時期だった。経営者が社員と奮闘する姿に「やはり人が大切」と共感。リストラ業務が一段落したころ、連載が近く終了と知り、「最終回は今の立場を離れて読みたい」と退社を決めた。, 改めて世界を見ようと訪れた米西海岸には、下町ロケットの最終回が載った週刊誌を未開封のまま持参。シリコンバレーに向かう途中、野球場の裏に車を止めて読んだ。愚直にものづくりに取り組む登場人物たちの姿に涙が流れた。「もう一度勝負しよう」。起業を決意した。, 4カ月で地球を7周回り、世界中の技術者と対話した。あらゆるモノがネットにつながる「IoT」の原型の開発が始まり、同世代の技術者は沸き立っていた。その姿から勇気を得た平田氏は帰国後、国内の技術者と会い、日本のものづくりの強さを確信。「戦える」と判断して09年11月、妙高市で創業した。, 新潟・上越地方から長野に続くエリアは半導体の後工程の材料、設備など約2000社が集積する。「グローバルに向かうローカルの強さ」が創業の地の決め手になった。かつて半導体工場で働いた多くの仲間が技術を生かせず別の職場で働く姿に「地域発で日本を変えたい」とも思った。, オープンイノベーションで生み出す 変化を乗り切る未来の働き方(東京海上日動火災保険). 4 【当社半導体事業の沿革】 1957年 1968年 1970年 1993年 2001年 2014年 2015年 2019年 ・松下電子工業(フィリップス社との合弁会社)高槻工場において 半導体生産開始 ・長岡工場(京都府長岡京市、現 PSCS本社所在地)稼働。シリ コントランジスタ/バイポーラIC量産開始 ・MOS LSI 有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。, 企業での記事共有や会議資料への転載・複製、注文印刷などをご希望の方は、リンク先をご覧ください。 半導体リストラ技術者集め世界へ コネクテックジャパン (1/2ページ) 2017/12/6 6:30.